2023-03-13
ままならず
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やったこと
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- 『入門!論理学』を購入
入門!論理学
いろいろ勉強する中で、論理学を真面目にやったほうがよさそうという感覚を抱いた。ただ一旦はライトに入門したいとおもったので、ishibe-chan が読んでいたこの本を手にとってみることにした。
思ったこと
思ったこと1
自分のポリシーや価値観を主張するときに、必要以上に他人に言及したり、他人を貶めたり、マウントをとったりする人を見かけた。単なる言語化や発信のなかに嫌な自己顕示欲と卑しさを感じてしまって、これは自分はやらないようにしたいと思った。
ただ皮肉なことに、この声明でさえもその人に対する不必要な言及(と批判)を含んでいると言えそうな気がする。嫌悪感が邪魔をしてうまく捉えられていないんだろう。
思ったこと2
祖母に会った。
お年寄りに共通した特徴なのかは分からないが、祖母の話は要領を得ない。 文中の主語が抜けていたり、不可解な言及へと飛躍したり、話している途中に突然エスパーしてくれと言わんばかりの時間が訪れたりする。
普通に考えて、そのような人間と会話するのは大変なことだ。 私の母(つまり祖母の娘)は、私に気を遣ってか、共感を求めてか、あるいはその両方で「おばあちゃんと話すのは疲れるでしょ、ありがとうね」と言う。
実のところ、私はこれまで彼女との会話が疲れるなどとは思ったことがなかった。祖母と会うことそれ自体が嬉しいイベントに違いなかったし、難易度の高い会話もそういうものと受け入れて楽しんでいた。母の言葉も、感謝されるならそれでいいか、と思う程度であった。
しかし今日、私は初めて帰りたいと思った。うっすらと自分が抱いていたコンプレックスを祖母に指摘されたのがきっかけだった。自分自身もそれがコンプレックスであるとはっきり認識していたわけではない。言われたあとにだんだんそれが気になってしまって、それを指摘した彼女への苛立ちも無視できなくなっていったのである。
不快感が消えることはなく、それは彼女への嫌悪感に変貌した。彼女との会話に割く労力がひどく無駄なものに思えたし、息をするように論理の飛躍を起こす彼女は会話の土台にすら立てていない、真面目に話すだけ馬鹿馬鹿しいとすら感じたのだ。そんな気持ちを抱く人間が楽しく会話できるわけもなく、今日の自分は事務的に返答をする質の悪いチャットボットさながらの様相にあった。
家に帰ってきてからいたく反省した。せっかく会った彼女に悪いことをしたと思った。自分の感情で人に対する見方が変わるという現象を現実に体験してしまって怖いと思った。彼女を否定するためだけに「日常的な会話に論理の飛躍を許さない」などという尤もらしい“だけ“の理屈を持ち込もうとした自分が気持ち悪くてしょうがなかった。
私が祖母に会いに行ったことを知った母は今日も、私に気遣いと感謝の言葉を忘れなかった。 今日ばかりはその言葉を得意げに受け流すことができず、ばつの悪さを噛みしめるほかなかった。