2023-06-15
小手先芸人
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やったこと
- 卒研
今日は先生にプロポーザルを見てもらって、一応完成ということにした。 本は日本沈没の下巻を読んでる。沈み始めた。
思ったこと
研究に関する質問は答えるのが非常に難しい。ところでこの難しさについて、以下に示すようないくつかの種類のものがあると思う。
- (主に話者の)専門的知識の不足による説明の難しさ
- 聞き手の知識を探りながら、前提知識の補完をしたり内容の詳細度を操作したりすることの難しさ
- 無駄のない正確な物言いをすることの難しさ
以下で各項目についてそれぞれ少し述べる。
1. (主に話者の)専門的知識の不足による説明の難しさ
これはわかりやすい。俺の例で言えば、質問に答える立場である俺は OS や低レイヤの仮想化技術について専門家とするのはさすがに厳しい。そもそもの知識不足によって、この分野についての脳内マップ、あるいはネットワークを構築できないでいる。わかりやすい答えができないのも当然である。
2. 聞き手の知識を探りながら、前提知識の補完をしたり内容の詳細度を操作したりすることの難しさ
これはコミュニケーション一般で重要とされる技能だが、研究についての議論ではより高度なものに位置づけられると思う。こちらが当たり前に使っている言葉の意味が通じていなかったり、別の意味で捉えられていたりすることが往々にしてある。日常会話であれば(傲慢にも)「常識」をある程度までは押し通せるうえ、同じ社会に生きる人間同士の会話であればそれが問題になることは少ない。 技術的・学術的な会話であればここが無視できなくなってくるため、いつもは意識しない問題に脳のリソースを割くことになる。必然的に負荷が上がる。
3. 無駄のない正確な物言いをすることの難しさ
研究における議論では、ある意味で「上手い」文章をつくる必要がない。これは読みやすいとか筋が通っているとかそういう意味の上手さではなく、読み手を騙しながら、それっぽい内容を連ねるという意味の上手さである。俺はこういう文章を書くのが非常に得意で、自分が織りなす表現に半ば酔いしれながら、生意気にもつらつらと文章を練成しがちだ。こういうときに現れる表現の類を、俺は自嘲をこめて「小手先の修辞」と読んだりする。
ところが技術的あるいは学術的な対話においてはそのような表現が褒められることはないし、むしろ悪しきものだと見ることが多いだろう。それまでふわふわと、借り物の翼で曲芸飛行をしていた俺は地面にたたき落とされ、一歩ずつ、地を踏みしめる営みを余儀なくされるのである。これは自分の矮小な実態が見透かされているようで、そこそこ苦しいときがある。
ここまで書いて、やっぱり俺が気持ちいいだけの文章になってしまった。 真面目な考察に見せかけた『小手先の修辞』まみれのエゴイズムノベルはいかがでしたか?またすぐにお会いしましょう!