日も早く落ちるようになった学校帰り、最寄りのコンビニに寄って一服するのはほとんど決まりきりの事項となっていた。喫煙という行為が寒空の下で意味を持ってひとりの人間を拘束するということ、その自然さがもたらす孤独にえも言われぬ心地よさを感じていたし、事実俺はその虜になっていた。自室で眼鏡をかけてキーボードを叩く孤独とまったく異なる良さがそこにあるのは間違いないのである。
コンビニは広い駐車場を備えていて、灰皿はその一隅にある。店が面する道から駐車場に足を踏み入れると喫煙者御用達の愛らしいタワーが姿を見せ、俺はそこに歩を進めながらくしゃくしゃになったソフトケースを取り出す。言うまでもないがこれもまた決まりきった動作の一部であった。
その日もくしゃくしゃ極まったハイメンをポケットから取り出しライターを手探るというルーティンを演じていたわけだが、定位置に近づくにつれ喫煙が許されるその空間の様子がいつもと違っていることに気がついた。かの寸胴がフェンスの隅を離れ、駐車場の重心に吸い寄せられるようにして普段よりも存在感を主張しているのである。さながら灰皿が広い世界に向けて大股の一歩を踏み出したようなありさまであった。そして灰皿があったはずの場所はと言えば、ウイスキーの小瓶を持ってバケハをかぶったおじさんが座り込んでいる。
面食らっている暇もなく俺は灰皿の近くにたどり着いてしまい、なかなか見つからないライターを探しながらおじさんの様子を伺っていた。 この謎のおじさんが元の位置から灰皿を動かしたのかどうかは定かではないが、彼はフェンスの片面に黒のクラッチバッグを立て掛け、反対側にはキャメルのケースをまっすぐに置いていて、駐車場でもっとも神聖な一角の継承者としてはずいぶんと収まりのいい様子であった。
灰皿は自身の位置を変えてこそいたが新天地で変わらず堂々と聳えている。やっとの思いでライターを取り出した俺は、今度はタバコを取り出すのに骨を折ることになった。ライターを指に挟んでタバコのケースをゴソゴソしていると、不意に視界の端にいたおじさんが動き出した。ふと目をやると、おじさんは俺の方に近づいてくるようだ。そして右手でゆっくりと奇妙なジェスチャーを演じながらいかにも外国人といった感じのアクセントで言う。「すいません、おにさん、ライター?」
ここまで書いて、尻すぼみの文章に本当に辟易してしまった。たったひとつのエピソードでさえ書ききってしまえない自分が本当に情けない。結局おれはそのおじさんからもらったタバコを吸っただとか、人のタバコに火をつけるときのおじさんの手さばきが見事だったとか、彼が信じられないくらい酔っていることに途中で気づいただとか、全然話が通じないなりに喋りながらタバコを吸っただとか、執拗に飲み物を奢ろうとしてくるおじさんを断るのが大変だっただとか、おじさんは俺と話していない間にもどんな言葉ともつかないような言葉をつぶやき続けており、俺はそれを横目にニコニコしながら吸い続けていただとかを書きたかったのである。
はい、もう終わりです。このくらいの分量ならもうちょっと飽きずに書ききってしまえるようになりたいです。あと最後に孤独じゃないタバコもやはり悪くなかったと書いておく。