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技術の膾炙と主人公たち

2023-07-04

エラーがエラーに思える感覚は、プログラミングをやっていくうちに薄れていく。

「クソ!動かねぇ!自分は何か大変なことを引き起こしてしまったのか?」「ちくしょう、コピペでググって Stack Overflow がヒットしなかったら終わりだ!」

エラーがエラーに思えるというのはそういう、得体の知れない困難に出会ってしまったような感覚のこと。 それこそ初学者のときに遭遇していたエラーの数々は一つひとつがそれは大層な障害だったし、解決できたときはすごいことを成し遂げたような感覚になっていたことを思いだす。

しかし最初に述べたように、経験を積むほどにエラーへの対処はこなれてくるものだ。やるべきことは黙ってエラーメッセージを読み、原因を推測して切り分けながら考えられる可能性を潰していくのみであり、そこには主人公みたいな台詞もドラマチックな困難もない。遭遇するエラーによってはあまりに自明に思えてしまってメモすらしないものもあるし、ニッチな技術のエラーだったりする場合は「わざわざ今この技術を触る人だったらこれは自分で解決するだろうな」と思ってやはりメモしないことも多い。初学者の頃だったら迷わず記事にしていたであろう対処の数々は、大抵は公開しようという気すら起こらない。出会うもの全部を記事にしていたらキリがないのである。

先進的な技術、アーリーアダプター的な人しか触っていなそうな技術だと、場当たり的なエラー対処記事を見かけることは少ない。単に人口が少ないだけかもしれないが、前述したような心理もあるのではないかと思う。

逆に、世の中で大人気の技術はこれと対照的だ。分量としても少ない、場当たり的なエラー対処記事が Qiita などにたくさん投稿されるのである。 大抵の場合このような記事は単なる検索汚染になるので別に嬉しくはないのだけど、前から知っている技術だと少し面白かったりする。投稿される数々の記事の中には、「エラーに思えるエラー」に立ち向かう者たちのドラマチックな格闘を感じられるものが多数あって、その技術を触る初学者がたくさんいること、ひいては技術領域の膾炙が肌で感じられるのである。

そんなことを、自分が昔に公開した「ドラマチックな」 Zenn の記事を眺めながら思った。